宮崎駿監督作『千と千尋の神隠し』で実は、オリジナルと北米版では一箇所だけ違うところがあります。この変更がなければ、もしかするとアカデミー賞もなかった???
Q:英語版で唯一変更されたところとは?
言わば『千と千尋の神隠し』と英題『Spirited Away』の違いです。
他は全部同じなのに、この一箇所だけ明確に違うのです
ここは監修をしたジョン・ラセターによる演出が付け加えられてると言っていいでしょう
どこかポーンと分かる方は、かなりの通です(多分)
ヒントは台詞です。(英語版って言ってるから当たり前っちゃ当たり前ですが)
それでは正解発表……
……
A.ラストシーンの台詞が足されている
目次でバレてましたけど……笑
ラストシーンで自動車に乗り込む際に、お父さんが千尋に「新しい土地、新しい学校、ちょっと恐いね」と語りかけ、
千尋は「私なら大丈夫」と答えます
これが答えです。
何故台詞は足されたのか?
みなさん『千と千尋』を見た時に、少し違和感を感じたかもしれません。
最後もお母さんにひっついて怖がってるやないかと
千尋、最初と変わってないやんと
しかしこれは当たり前ですが、宮崎駿があえてやっていることです
最近の映画から成長神話というようなものを感じるんですけど、そのほとんどは成長すればなんでもいいと思っている印象を受けるんです。だけど現実の自分を見て、お前は成長したかと言われると、自分をコントロールすることが前より少しできるようになったぐらいで、僕なんかこの六十年、ただグルグル回っていただけのような気がするんです。だから成長と恋愛があれば良い映画だっていうくだらない考えを、ひっくり返したかったんですね。
宮崎駿『折り返し点 1997~2008』岩波書店、2008、p267
つまり成長しているということを見せたくなかったので、あえて同じような怖がらせているシーンを入れているのです
しかしこれだとアメリカの観客は理解しないだろうと考えたのが、ジョン・ラセターです
そこで明確に成長を意識した台詞を足したのです
ちなみに宮崎駿はジョン・ラセターのことをとても信頼していますから、英語版に関してはラセターの思うようにすればいいと、ノータッチです
オリジナルはなんとも言えない不思議な余韻になっていますが、英語版だといかにも前向き!という感じの余韻になっているということですね
参考文献
叶精二『宮崎駿全書』フィルムアート社、2006、p252
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